「東京が燃えた日」(早乙女勝元)

忘れ去っていいはずがありません

「東京が燃えた日」
(早乙女勝元)岩波ジュニア新書

※本記事は
 2016年8月2日付けで
 他のブログに投稿した記事です。

今年もまもなく
8月6日の広島原爆忌、
8月9日の長崎原爆忌、
8月15日の終戦記念日が
やってきます。
この3つが8月に集中しているためか、
3月10日の東京大空襲が
忘れられがちです。
しかし、東京大空襲の死者10万人は、
広島原爆による死者14万人、
長崎原爆による死者7万人と並び、
爆撃による
史上最大規模の大量虐殺です。
忘れ去っていいはずがありません。

本書は、その東京大空襲について、
さまざまな資料や
当時の人びとの手記を紹介し、
戦争を知らない私たちにも
その悲惨さが実感できるように
書かれたものです。

第1章 最初の敵機
東京空襲は戦争末期のことなのですが、
最初の敵機到来は1942年4月。
真珠湾攻撃が前年12月ですから、
開戦後わずか4ヵ月で
領空への侵入を許したことになります。
たまたま運良く哨戒艇が
米艦隊を発見したにもかかわらず、
その情報は共有されず、
空襲警報が鳴ったのは
第一弾が着弾して
15分後というお粗末さ。
この段階で、
首都防衛自体が破綻していたのです。

第2章 少国民と神風
第3章 学童勤労報国隊

この2章では、
戦争当時の筆者の身のまわりについて
解説されています。
戦争報道に見られる「嘘」を、
筆者が少年の目と心で
鋭く感じていたことが
記されてあります。

第4章 炎の夜・三月一〇日
そして運命の夜
1945年3月10日のようすが、
体験者の手記を交え、
克明に記録されています。
亡くなった10万人の人間一人一人に
10万通りの悲劇が訪れていたことに
胸が痛みます。

第5章 無差別爆撃命令書
そして、3月10日の悲劇の原因について、
日米双方の記録から筆者は迫ります。
アメリカ側の資料からは、
米軍が木造家屋の燃焼実験まで行い、
緻密な計画を練った上での
作戦であったことが説明されています。
一方、日本側資料からは、
レーダーがほとんど作動せず、
敵機の接近をつかめなかったこと、
翼灯を点けたまま接近してきた米軍機を
友軍と勘違いし確認を怠ったこと、
空襲の第一報が参謀本部に
伝えられたにもかかわらず、
天皇の安眠に配慮し、
詳細の確認ができるまで
警報発令を見合わせたことなど、
いかにも日本らしい無責任体質と
人為的ミスの連鎖が
明らかにされています。

子ども向け、と侮ることはできません。
大人の読書にも
十分に耐えられる内容です。
中学生、高校生、
そして大人のあなたにお薦めします。

※近年は東日本大震災(3月11日)の
 存在感が大きくなり、
 ますます3月10日を
 知らない人が増えてきそうです。
 大人がしっかり
 理解し記憶し伝達していく
 必要があります。

※本書はおそらく著者のベストセラー
 「東京大空襲」(1971年・岩波新書)を
 中高生にもわかるように
 書きなおしたものと考えられます。
 そちらのほうも近々入手し、
 読んでみたいと思います。

(2016.8.2)

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